不在の在
皆さまこんにちは。
今日ついにコンビニのレジで
「フォークください」と言って「領収書ですね?」と返された、
滑舌の悪さにターボがかかっているふじみです。
先日、国語チームの輝く新星・ぎょん殿から
キャンディーをいただきました(ありがとうやで)。
その名も『味のしない? 飴』。
えー味がしないってどゆことだろ~美味しいといいな~
という軽いノリで口に含むと…。
味 が し な い 。
いやまあはじめから言われてたんですけどね!?
看板に偽りなしってことなんでしょうけどね!?
口の中に物体の感触があってそれが少しずつ溶けて小さくなっていくだけ。
なめれどなめれど味がない。本当にない。
美味いとか不味いとかもない。無味だから。
「真水とか白湯ですらもっとこう、風味あるような気がするんだが…」
と衝撃を受けながらも、
あるべきはずのものがない不思議な感覚という味わいがそこにはありました。
これはもうひとつのアートでは?エンターテイメントでは?
私の敬愛する某キーボディストは、
レコーディングの際に
オルガンのふたを「バン!」と閉めた音を
そのまま音源化しました。
私の応援している某アイドルは、
歌番組の生放送で楽しくなりすぎて
カメラの画角からはみ出すどころか
カメラマン側の位置までまわってしまい
他の全員が全身映るくらいのヒキのアングルにもかかわらず
「あれ…メンバー一人足りんくない…?」
とテレビのこちら側にいる視聴者をざわつかせました。
ないはずのものがあったり、
あるはずのものがなかったりすると、
気になる。
楽しくなる。
面白くなる。
そんなことに改めて気づかされました。