富松神社奉納薪能

少し前のmineさんの記事の「ロックは死んだのか?」という問いに、ドン・マクリーンのAmerican Pie のフレーズ、The day the music died “音楽(ロック)が死んだ日”を連想しました。これって50年以上前から言われ続けているんだな~としみじみとした趣きを感じているおくらです。

さて、先週末に富松神社奉納薪能が行われました。演目は「羽衣」。装束の長絹は一般的な白と朱や紫のものではなく飛雲か鳳凰紋様の入った黄地のものでした。白や紫だと荘厳さ神聖さが際立つ一方、「重さ」も出てくるので、猛暑の中、多少とも軽やかさ、爽やかさを演出するデザインになったものと考えます。摺箔(多分)には今年の風潮に合わせてか源氏香の刺繍があしらわれており、あでやかな夏の夜を楽しめました。

見所は案の定、ご年配の方が大半でしたが、熱心に鑑賞する小学生くらいの方も。能の感性は、「全部説明してくれて誰もがわかりやすい」「タイパ」といった近年の流れとは真逆に位置します。理解する努力をしない鑑賞者は放っていかれるし、シテが橋掛りから舞台に出てくるまで一時間くらいかかる老女物もあります。どちらが良いというものでもないですが、一瞬で消費される娯楽に慣れた若い子たちが400年続く“得体の知れなさ”に少しでも何か感じることあれば、それはこの世界から足を洗って随分経つ身としても嬉しい限りです。

忙しいとは心を亡くすと書きます。忙中有閑ではないですが能管の音色に聊か心を取り戻したついで、遥か遥か遠い昔の記憶も甦りました。進路に迷っていた当時の自分に能の師が戯れに声をかけていただいたこと、

「プロを目指してみますか?基本的人権のない世界ですけど…」と。

人生で最も輝かしい20代~30代の約10年間を内弟子修行に費やすこと、それを終えてなお一人前として生活できる保障のない大変厳しい芸の世界に慄き、嬉しさと気まずさで曖昧に笑って誤魔化してしまった自分を、師はどう見ていたのやら。思えばあの日が自分にとって“The day the music died”だったのかな。ただ、もし蛮勇だけで「愛」に驀進できた、もう少しだけ若くてRockなころ、そのお声がけをいただけていたら… とシテが去った浄闇の舞台に、生まれ得なかった自身の別の未来を描いてしまいました。

「かの時に我がとらざりし分去れの片への道はいづこ行きけむ」美智子上皇后

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