ラブレター
こんにちは,国語チームのLady_stardust です。
国語の特に模試類では,文化庁などの世論調査をもとに作問する機会があります。
最近,平成28年度「国語に関する世論調査」を読むことがあり,この調査結果からどーしても書いておきたいことがあるので,以下,まとめました。
この調査に「最も親しい人に,自分の本音を伝えやすい手段・方法は何か」という質問があり,これに対する回答として「直接会っての会話」が9割を超えていたことに,ひとまず安心したのですが,今回,この場で叫びたいのは,調査結果で18%の4位となった「手紙」の復権です!
「自分の本音を伝える」=「告白」= 「手紙」= 「ラブレター」という方程式のもと,肉筆の「手紙」って,携帯電話の通話とは違った,味わい深さがあるよな…ということを共有したいと思います。(この記事は国語チームの携帯世代スタッフが「ラブレターなんて書いたことない」という発言をふまえたものです)
肉筆の「手紙」というと,その昔,静岡新聞のコラム欄に俵万智先生とドリアン助川先生の対談が掲載されていて,二人が,「肉筆は受け取った者にとって重たいものになるからこそよいのだ」というようなことを語っており,この記事を,当時,ポケベルが爆発的に広まっていた時代に対するアンチテーゼとして読んだことが思い出されました。肉筆を受け取る機会が少なくなった現代こそ,手書きの手紙のよさを見直したいのですが,ことに「ラブレター」となると,「前の晩に自分の書いたラブレターを次の日に読むと赤面する」というのが,ラブレターあるあるだと思います。好きな相手を思い浮かべて書き連ねると,ついつい気持ちが高じてしまう…。どんどん筆が乗ってくると,ついつい書きすぎてしまうものですが,その点,芥川龍之介はちゃんとわきまえています。
僕のやってゐる商売は 今の日本で 一番金にならない商売です。
その上 僕自身も 碌に金はありません。
ですから 生活の程度から云へば 何時までたっても知れたものです。
それから 僕は からだも あたまもあまり上等に出来上がってゐません。
(あたまの方は それでも まだ少しは自信があります。)
うちには 父、母、叔母と、としよりが三人ゐます。それでよければ来て下さい。
僕には 文ちゃん自身の口から かざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。
繰返して書きますが、理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。それでよければ来て下さい。
のちに芥川の妻になる人に送った手紙の一部です。芥川というと,高校生のときに学ぶ「羅生門」のせいで「なんだか暗く,気難しい人」という印象をもつ人が多いかもしれません。しかし,この手紙からは,かざらない人柄(神経質なのは何となくわかるのですが)がうかがい知れ,こういう手紙を書きたいなと思ってやみません。
そんな私ですが,過去に一度だけラブレターをもらったことがあります。(書いたことはたくさんありますが…涙)その手紙は中学1年の冬,クラスの友達からの年賀状の中にまぎれていました。一見,何の変哲もない年賀状でありながら,当時の干支を模したイラストのフキダシに何やら英語で書かれています。
Last Christmas(去年のクリスマスに)
I gave you my heart(私はあなたに心を捧げたんだ)
But the very next day you gave it away(でもあなたは次の日にそれを捨て去ったんだ)
This year(だから今年は)
To save me from tears(涙を流すことのないように)
I’ll give it to someone special(私はそれを(誰か他の)特別な人にあげるんだ)
Wham!の「Last Christmas」の歌詞が書かれていたのですが,この歌詞の真意に気がついたのは中3の冬で,時すでに遅しでした…中学1年の冬に気づけていれば,人生がかわっていたかもしれません。(笑)
いやあ,ラブレターって本当にいいもんですね~。(水野晴郎風)