何も聞こえない。何も聞かせてくれない。

mineです。

私,昔から偏屈というか,天の邪鬼な人間で,「世の常識」や「当たり前」を疑ってしまいます。
ほんまかよ!?の心意気が強い人間だと自負しています。

例えば,たっかいレストランに行って,たっかいたっかいステーキが出てきたとしましょう。
それを食べて「おいし~い。やっぱりいい肉はちがうね~。」なんて言う人がいたら,
私の心の中のランプが点灯します。ランプがくるくるくるくる回ります。

 ほんまに?ほんまにそう言える?雰囲気に流されてない?
 例えばそのステーキが1万円,吉野家の牛丼が420円,ステーキが牛丼の20倍以上おいしいって思う?
 おいしいから高いのではないよ?市場の原理を勉強しなおすべきだよ??

なんてふうに思ってしまうのです。

例えば例えば,テレビから曲が流れてくるとします。ドラマか何かのタイアップ曲でしょう。
その曲を聴いて,「この曲好き~」なんて言う人がいたら,私の精神内でちょっと待てよスプラッシュマウンテンが動き出すのです。

 なんでこの曲がいいの?他の曲とどうちがうの?
 なんでこんな何も成し遂げてないやつらの応援ソングに感動できるの?うわっラップだっさ!
 こんな資本主義社会の権化のような曲の,どの要素が好きになったの?

もう下流の人工池目指してドバッシャーと突っ込んで行きよるのです。

さらに例えば,散髪に行った翌日,友達に会ったりします。
その友達に,「髪切ったね~」なんて言われたりすると,ちょっと待てよボーイが私の精神内に顔を出すわけです。
その丸い丸い顔をのぞかせて,こう言うのです。

 はぁ?

もはや何も言っていないに等しいですが,そういうことです。

こんな自分の天の邪鬼さと付き合いながら,社会の中で,暮らしています。
そんな自分を誇らしくさえ思います。これは天の邪鬼な人特有の,よくわからない自尊心です。
しょーもないことに,己の特別性を見出して自分を慰めているのです。

そして,それでは話が終わらず,ややこしいことに,
おれってそんな人間だよな~テヘヘなんて言いつつ,そこにも天の邪鬼んは登場します。

 本当に自分だけがそんなに特別なのか?他の人も大なり小なり同じ部分を持ってるのでは?
 そして,自分と同じように,それを表面化させず暮らしているのだ。それが社会なのだ!

人間は考える葦なのだと思えてきます。

…話があっちゃこっちゃ行ってしまいました。
要は,私が言いたいことは,,,アイラブユーということですよ。
(↑サンボマスターの人が言っていた名言です。)

ここまで書いて読み返すと,おれヤバイやつですね。笑
ブログなので,かなり大げさに書いているということはご理解ください。

そんなことを言って守りを固めるくせに書き直したりはしない,
mineでした。

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